HOME 国際女性デー2017 「災害と女性 ―復興から未来を拓く(ひらく)―」

国際女性デー2017 「災害と女性 ―復興から未来を拓く(ひらく)―」

災害と女性 ―復興から未来を拓く(ひらく)―

2017年3月5日(日)男女共同参画センター横浜北(アートフォーラムあざみ野)レクチャールーム

主催:
国連ウィメン日本協会よこはま
共催:
男女共同参画センター横浜北 (アートフォーラムあざみ野)
後援:
NPO法人国連ウィメン日本協会   神奈川新聞社
tvk(テレビ神奈川)
(一社)国際女性教育振興会神奈川県支部


 「啓蟄」の暖かい日の午後、第10回国際女性デーが開催されました。 会員の庭からのミモザが舞台を飾り、地元で活動するベルコーラスの 希望と優しさに溢れた歌声に続き、東日本大震災後6年が経つ被災地の 現状が映像と共に報告されました。

オープニング

 ベルコーラスによる爽やかな歌声と心に響く合唱3曲。 最後に参加者とともに「花は咲く」を歌い、会場一体となり盛り上がりました。


 


第一部 トークと映像

◆草野祐子(みやぎジョネット代表)

 震災後のみやぎジョネットでは、女性ならではの支援を心がけて、南三陸を中心に活動を始めました。緊急物資配布活動から始め、南三陸防災庁舎遺構の脇に作ったトレーラーハウスの事務所で、女性たちの疲れと不安に向かい合いながら、手仕事や自立支援をしてきました。 復興が思うように進まない中、若い女性が諦めがちになる一方で、高齢者のたくましさや立ち上がった女性が周囲を前向きに変える影響力の大きさを見てきました。コミュニティで生じる様々な溝や苦しみの中にあっても、女性たちの意識を変え、女性目線を活かして“居心地のいい町”を作っていくことが、家族を変え社会を変えていきます。地域の女性の共同力と回復力は災害のリスクを乗り越えていく力になります。 支援する中で、男女共同参画、女性自身の気づきと仲間を大切にすること、女性のスキルを意思決定面に生かすことが重要と思い、支援活動を続けています。




◆八木純子 (コミュニティスペースうみねこ代表)

 女川は過疎地域で、家父長制の色濃い土地柄で育ちました。震災では、犠牲者827人を含め、7割近くが全壊など多くの物を失いました。震災からの1か月間は、安否確認と生きることと並ぶ生活でした。  1か月後電気がつきました。塾の子ども達を集め、避難所での子守活動、高齢者の入浴活動(残った一軒家で)、子ども達に絵本やぬいぐるみの提供と炊き出し、遊び場の提供、仮設住宅での小物作り(おばあちゃん達の集まる場所)、をしました。 “自分の目から見て必要なことを必要な時に”をモットーに進めました。そして「うみねこハウス」を作りました。心がけたことは無料の仮設住宅で暮らす人の生業を奪わないこと。できるだけ平等にすることです。 2013年2月に「一般社団法人」になりました。船を流された高齢男性を漁業から農業へ導き(唐辛子、イチジク、ニンニクの畑)、高齢女性は食堂へ、小物作りの継続もしました。若い人は加工に参加し、連携を大事にしています。外に出てこない男性を巻き込みました。継続していくためには収入を生まなければならないからです。 2014年“ゆめハウス”を作りました。リフォームは学生達。CD「さんまなたい焼き」を出し、紅白出場を目指しています(笑い) これからも楽しみながらやりたいです。


◆参加者の質問に答えて

☆女性だから困った事は?
→避難所でプライバシーが無かったこと。大勢の御飯炊き。仕事がなくなったこと。

☆男性が漁業から農業をするようになり、女性に対してプラスの気づきがあったか?
→震災で全部が崩れた。お父さんが食事を作るようになった。
褒められるとお互いに気遣うようになった。女川では女の人が外に出るようになった。
南三陸では女の人は小さくまとまっているが、良く働き、「女は強いよね」という声が。

☆これから先、私達はどうしたらよいか?
ヒント→草野さん:「女性達に届けなくてはいけない」という思いで、人前で話したり、行動する。
八木さん:親戚のおじいちゃん、おばあちゃんのために、目の前のことから先の事を考える。

第二部 交流会

出店団体
アジアの女性と子どもネットワーク、  ファイバーリサイクルネットワーク、
チーム ピース チャレンジャー、  ビラーンの医療と自立を支える会、
国連ウィメン日本協会よこはま


 今年も地域に根差して活動している団体の手作り品と、被災地からの特産品や手作り品が並びました。再会を喜び、講師を囲んで、買い物を楽しんでと、交流の輪が広がりました。

     
“行って、見て、感じた 被災地 女川・南三陸”
          ― 東日本大震災 被災地(女川、南三陸)研修旅行記―

 本年10回目となる「国際女性デー」のイベントのテーマに「災害と女性〜復興から未来を拓く」を選び、震災後6年を経て、これまでの復興状況と今後の展望、際立つ女性の活躍などを、女川と南三陸の各女性リーダーに、語ってもらい、これから目指す行先、復興から将来への展望を、防災・減災の観点からも、共に考えたいと思いました。そのつどいに先立ち、 現地を訪問して“行って、見て、感じて“ 来たいと、昨年12月、会員の青沼さんが、震災直後から支援活動を続けて居られる女川、南三陸へ有志(8名)が、研修旅行に向かいました。

 東北新幹線仙台駅から仙石線で石巻まで約50分、石ノ森章太郎の漫画のデザインの駅舎に降り、車で海岸沿いの国道を南三陸に向かって走りました。車窓からの風景は、瓦礫の山はありませんでしたが、かさ上げされた台地と、山を切り崩した高台に新しい住宅がポツリポツリと建ち、道路はその谷間を通り、風光明媚だった海岸線には重機が並び、かさ上げ工事が進行中でした。津波でひっくり返った「交番」の建物が、「津波の碑」として、そのまま遺されていて、津波の酷さに心が痛みましたが、復興は道半ばと感じました。

  2日間、各所を訪問し、それぞれの場所で、それぞれの生活の営みを垣間見る一方、多くの笑顔の住人たちに出会い、力強く、前向きに生きる姿にも触れられ、救われた思いで帰りました。
 見学では、南三陸では、戸倉の「さんさん商店街」を皮切りに、多くの児童が大津波に襲われ死亡した 「大川小学校」、女性たちが運営している「雄勝ローズガーデン」、伝統硯の「雄勝硯工房」、夜はトレーラーホテル「エルファロ」に宿泊し、車上のホテルの初体験もしました。

 翌日、女川の「ゆめハウス」代表の八木純子さんの案内で、「高齢者施設」で、明るい笑顔の高齢者たちと交流し、「町立病院」では、押し寄せた津波の高さがそのまま残され、衝撃的でした。広々とした、オシャレな商店街「シーパルピア女川プロムナード」には、新たな復興の息吹が満ちていました。

 最後に、八木純子さんが、代表を務める、「ゆめハウス」を訪問しました。自らの家を提供して、女性の自立を支え、それぞれの生きがいをみつけ、人と人とのつながりと夢を育む場所として「ゆめハウス」を運営しています。更に、女性の支援だけでなく、男性の畑作作業にも拡大して、震災で船を流され、漁業は諦めた高齢の男性が、心機一転、農業に初挑戦し、見事な農作物を栽培して、「ゆめハウス」の大きな担い手となっているそうです。そこに集まってくる女性たちをはじめ、ボランティアの男性や学生さん、高齢男性が生き生き働く姿に、未来への明るい希望を託せると思いました。

<参加者の一言> 
■「ゆめハウス」はただ1つ残っていた倉庫だったのです。それが今は青々茂る作物でいっぱいで、 八木さんはじめ地元の人々の汗の結晶です。

■八木さんの人柄に触れられて良かったです。また現地に行かなければ知りえなかった事も感じました。

■テレビの映像の平面ではなく、今回も360度の視界に見える景色に現実を感じました。大川小学校の佇まいと校庭にある円形劇場の塀に書いてあった宮沢賢治の「雨にも負けず 風にも負けず」の詩と絵、でも津波には…。

■やはり自分の目で見なければわからないことが多く、大変有意義なツアーでした。

■食堂で働く若者から聞いた言葉が印象的でした。「震災があって何が変わったか、それは地元以外の友達が増えたこと、全国は勿論、海外とも大勢の人と繋がったこと、これが宝です」

■今、若い人の間では、実際に自分の目で確認する主義の主人公のコミックとドラマが流行っているそうです。見ると聞くとでは大違い。 今頃になって、再確認いたしました。

■「百聞は一見に如かず」の通り、新聞やテレビで震災の様子は理解していたつもりでしたが、 現地で見て、聞いて、感じて、人々と接して、初めて「震災、・被災とは」の惨い実感を得ました。 ■南三陸では瓦礫は無くなったものの、見渡す限りの盛り土と、土埃を上げ走るダンプカーばかりが 目立ちます。女川では、しゃれた商業施設もでき、一見明るく見えますが、住民の話を聞くと 本来の活気にはまだまだのようです。          


写真で見る 東日本大震災、被災地(女川・南三陸)

     
かさ上げ工事が進む 沿岸風景          津波の大被害を受けた 大川小学校

     
 トレーラーホテル「エルファロ」宿泊棟      「女川 高齢者施設」の皆さんたちと
     
オシャレな「シーパルピア女川プロムナード」   夢を叶える希望の家「ゆめハウス」

2017.2    文・写真撮影:牧野迪代、参加者一同 

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